生きていくのが何となく嫌になってたから、ちょっと考えてみた

嫌われる勇気という本を読んだ。その本について以前、書いたことがある。

これは!と思ったところをノートに書きとめていったら、抜粋じゃなくて丸ごと全部書き写してしまいそうな勢い。それくらい私には響きまくり、もっと早くこの本を読めば良かったと思った。

というか、アドラーさんをもっと早く知りたかった。

このおじさんの考え方、しっくりくる。私に合ってる。

たぶん、今読んだからそう思うのかもしれない。これが数年前だったら、意味をきちんと理解できなかったんじゃないかな~と。「いやいや、そうは言ってもね」と流していただろう。

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「怖くて出来なくなることが増えるから、生きていくのが怖い」

私なりの結論『さらに生きていくことで克服できる』

生きていくことが怖くなった。

明日嫌なことがあるから、とかじゃなくて。

ん~・・・生きていくことが怖いというか、日々を送ることが怖いって言う方が近いかな。

自分の過去の行動を振り返って「よくあんなこと出来たな。恐ろしい。」と思うことがある。

そんなことしたらどうなるか知らなかったから出来たっていうこと。

例えば、何も知らない子供とかが、好奇心でやっちゃうようなこととかだ。炎に触ってみたくて火を手でつかもうとする、とか。

あと、「あの時はあれが出来てたのに、やりたくても、もう恐くて今は出来ない」というようなこと。

例えば、以前は食べられたのに、気持ち悪くて吐いて以来食べられなくなった物とか。

チョコレートを食べ過ぎて鼻血が出た経験がある友達が、それ以来チョコレートは美味しいんだけど食べるのが怖くなってしまったと言ってた(笑)

私でいうと、中学の時に部活で膝を痛めて、治った半年後に体育の授業で馬とびをした時に膝をまた痛めて以来、膝にビクビクするようになった。

ジャンプした後の着地とか、体の向きが変で、膝に斜めから体重がかかることが怖くて怖くて。

中学で膝を怪我する以前は、何も怖くなく馬とびもガンガン出来てたのに。

膝が少しでも痛くなりそうな感じがしそうだなっていう微妙な時でも冷や汗が流れる。痛くなりそうなだけで痛くないし、そういう感じがしそうなだけで、そういう感じではないのに。

他にも、外食で吐き気がするようになってからは、外食をしないようにしてた時期がずいぶんあった。

日々を生きるのが怖い、というのは、こんなふうに、怖いものが増えていくことかなって思うから。

病気もそう。1回なってしまったら、一生食生活に気をつけなければならない病気もあるし。

私は猫が好きで飼いたいのだが、永遠の別れを1回味わってつらくて、飼いたいけど飼いたくない。飼えない。もう2度と味わいたくないから。

日々を過ごしていけばいくほど、積もっていく。膝の恐怖、猫が飼えなくなった、前は食べられたのに食べられないモノが増えた、など。この先も、日々を生きれば、また新たに出てくるんだと思う。

忘れることが出来れば。パソコンみたいに履歴を消去できたらいいのに。

怖いことを見つけていくのが生きることなのかもしれない。

そういった意味で、生きることって怖いな、と思い始めてしまった。こんなこと、何年も前には思わなかったのに。

怖くて出来なくなることを、これ以上増やしたくない!でも、これから生きていって日々を過ごすと増えていくんだ。今は怖くないものが、何かのキッカケで恐れるようになってしまうんだ。

これは心の傷、トラウマってやつなのだろう。

ちょっとここで、アドラーさん関係の本に書いてあった言葉を紹介する。


敗北を避けるために自ら病気になったりする。

悲しいから泣くんじゃなく、注目を引くために泣いている。

やる気がなくなったのではなく、やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。

不安で外出できないんじゃなく、外出したくないから不安を作り出している。

すべての行動に、無自覚でも目的がある。

そして人は目的のために感情を使用する。

子供は感情で大人を支配するが、大人になってもそうするのは幼稚。

理性的に話し合うこと。

相手によって声色がかわるのは、あらゆる行動に目的がある証拠。

人間であるということは、劣等感を持っているということである。

それを持っているのは不健全ではないが、それをどう扱うかが問われている。

劣等感をバネに偉業を成し遂げたものも数知れない。

次もダメだ、などの思い込みは、冷静に立証を試みれば消えていく。

生きることで、怖いことが増えた。

でも、さらに生きたことで、怖かったことを乗り越えられた。

子供のころは外食で吐き気なんかしなかったけど、大人になって外食で吐き気がするようになった。

そしたら次は、手が震えて字が書けなくなった。

もうイヤだ~!!!

と思ってたら、カラオケで息が出来なくなったことがあった。

次は何だ?また何か増えてしまうのか?怖い。

生きていたら、何か増えてしまう。

だけど、生きたことで、本に出会い、本を読んで知らなかったことを知った。

怖くなかったことが怖くなったのと同じように、知らなかったことを知った。

知ったことで、怖かったことを乗り越えた。

もしまた、怖くなったとしても、乗り越える方法を知ったから、大丈夫だなって思う。

もし、怖くなったことの乗り越え方が分からなかったとしても、生きていればその方法を探すことが出来るし、今は知らないだけで知ればいいんだなって分かったから、やっぱり大丈夫。

生きていたから怖くなったけど、さらに生きていたら怖くなくなった。

生きていくのが怖い。だったらその解決法は、生きないことなのかなって思う。

解決方法も、生きていくこと、っていうおかしな話だ。(笑)

怖いことを増やす原因でもあるのに、解決方法でもある。生きるって複雑。

だけど、結局

「生きてたら大丈夫。」とか「生きてたら何とかなる。」

というシンプルな結論に至ったのである。

よく聞くこの言葉って、こういう意味もあったんだな~。

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なんだかんだで私も、外食での吐き気は無くなってるんだもんな~。それも、生きてたからだもんな~。

ぶっちゃけ、この記事を書き始めたときは、結論が出てなかった。

「生きていくのが怖いんだけど、そういうのってあるよね~」みたいな内容で書いていた。

あまりにも、生きてくのが怖くて。

いや、怖いというか、苦手なものを増やすのがイヤで。増えるから、生きたくないな~。時間よ、止まれ!と。

それが、なんか、生きていくことで怖くなくなっていくんだってことになっていって。

ここまで書いてるうちに、この先も生きるのが大丈夫になってた。

あらら~。良かった良かった。

それもこれも、生きて、この文章をここまで書き続けたからか。

あ~やっぱ、生きるって怖いものを増やすし、怖いものを克服させもするんだな。

今まさに体感しながら、今回の記事を締めることにする。

まだまだ考察は続く。


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