祇園祭は、見に行ったことがなくても、誰しも名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
実は、祇園祭と岸和田だんじり祭りは関係があるって知っていましたか?
2つの祭りについてのちょっとした豆知識を。
祇園祭の由来
スサノオは、古事記でヤマタノオロチを退治した荒ぶる神。
彼を祀る祭りの中でも一番有名なのが、日本三大祭りの一つ祇園祭です。
7月の1ヶ月間に渡って繰り広げられるこのお祭りは、ことに夏の訪れを知らせる風物詩!
山鉾巡行では、33基の山鉾が都大路を巡ります。
その始まりは平安時代にまでさかのぼります。
当時、京都では疫病が大流行していました。
疫病は、悪霊の祟りだと恐れられていました。
京都にはびこる悪霊を退散させるため、悪霊を集めて、神様にこの町を守ってもらおうとしました。
山鉾の由来
考えたのは長い武器、矛を建てること。
古来日本では尖ったものに、魂が宿るとされていました。
矛を建てることで、国中の疫病や災難を集めて、強力な神スサノオの力で退治してもらおうと考えたのです。
山鉾は、そんな悪霊をおびき寄せる悪霊ホイホイとしてスタートしました。
当初は、厄払いとして地味なものだった山鉾ですが、町人たちが祇園祭に参加するようになると、町同士が競うように。
山鉾は、より豪華で賑やかなものに作り変えられていきました。
現代の豪華絢爛な山鉾は、神様を喜ばせるためのもの。
だから山鉾はあんなに大きいのです。
祭り囃子も、神様のご機嫌を取るためにあります。
だんじりの始まり
なんと、岸和田だんじり祭りは、祇園祭を元に生まれたものです!
岸和田だんじり祭りは、祇園祭りがルーツ。
山鉾のような派手なものがないしどうしようかな~と思った時に使われたのが、荷物を入れる長持ち。
山鉾の代わりに、その長持ちに車輪をつけたものに目を付けたのです。
つまりだんじりは、祇園祭りに憧れた知恵と工夫の産物ってことになります。
やがて岸和田の漁師町の人々の気性と相まって、ああいうお祭りになっていきました。今では、祇園祭と全然違う雰囲気です(笑)
ということで、岸和田だんじり祭りのルーツは祇園祭だったのですが、「祭り」というもの自体は、どうやって始まったのでしょうか。
それについてはこちらをご覧ください。
こういう知識が頭にあって祭りを見ていると、とらえ方が変わりますよね。
衣装とか神輿とかを、ただただ綺麗だな~って眺めているのでもいいんですけど、これは神様への接待なんだな~と思いを馳せてみるのも、感慨深いです(^_-)-☆