前回はストレスの威力について書いた。 体への影響って凄まじいな~。
ストレスが自分の中から無くなってしまえば、今まで困ってた不調がウソみたいに消え去るかも。
イラっとするのは、ストレスになる。今回は「怒り」について考えてみた。
今回の疑問「怒りを消す方法は?」
ストレスって何かというと 精神的な圧迫感や重圧のことである。
待たされたりしたらイライラする。そのイライラを相手に直接ぶつけることなく、なんとかこらえている時とかストレスを感じると思う。
友達と一緒に行列の店に並んでいたとする。同じように待たされていても、自分はめちゃくちゃイライラしてるのに、友達は別にイライラしていない。そういうことってあるだろう。
同じ状況でも怒らない人もいれば怒る人もいる。
待たされることがストレスになる人もいれば、ストレスにならない人もいるのだ。
ストレスは体に影響するから、なるべくストレスが無い方が良い。
同じように待たされたのに、私だけストレスが溜まっちゃった。待たされてもストレスにならない友達ってずるいな~。ストレスゼロのままだなんて。
ちょっとだけだとしてもストレスになったか、全くならないか。この差が塵も積もれば山となる。
例えで出した「待たされる」という状況以外にもイライラすることというのはたくさんある。
私は人と接するのが苦手だから、誰かが同じ部屋にいるだけで気が休まらない(^^;
人と接していると、ムカっとすることもある。で、直接言い合ったり出来ない人が相手だと我慢するしかなくて、相当ストレスが溜まる。
我慢するしかない場合のイライラって、どうしたらいいのだろうか。爆発しそうになる。
ムカっとしなければ済む。さっきの、同じ状況でも怒る人と怒らない人がいる、みたいにムカッとしない側の人間になれたら。
怒りについて書いている本があった。
そう、怒りを消したい。なんてピッタリなタイトルの本なんだ(笑)
これを読んでみると、「怒り」のことがよく分かった。以下に、本の内容をざっくりと抜粋しながら私の考えたことも書いていく。
まずは、自分の中で湧き起こる「怒り」について。なんで私はすぐに怒ってしまうのか。
怒りは“心の悲鳴”。
怒りは、役割期待のズレから起こる。
役割期待というのは、誰かに対して、○○をして欲しいなと思うことである。
ラーメン屋の行列に並んでて、ムカついて怒ってしまうのは、私が店に対して、私を待たせないで欲しいって思ってるからだ。私を待たせること無く、店に入れて欲しい。
私を待たせない、ということを期待した私。「待たせない」という役割が店にはあるんだ!
その役割に応えてくれることを期待した。にも関わらず、ラーメン屋は期待を裏切り、私を待たせた。このやろ~!!というわけだ。
そもそも、「待たせない」という役割を期待することが間違い。そこがズレてる。
友達はラーメン屋に対して「待たせない」とかではなく「おいしいラーメンを出す」という役割を期待していた。だから、待たされようと、すぐに入れようとおいしいラーメンが出てくればいいわけだ。もし、おいしいラーメンが出てこなかったらブチ切れただろうけど。
行列に並ばないと店に入れないラーメン屋に期待した役割。待たされて怒った私。待たされても怒らない友達。
行列が出来るラーメン屋に並んでおいて「待たされない」ことを期待するなんて、ズレてる。そんで、役割期待を裏切られたことで傷ついた私の心が悲鳴を上げた。心の悲鳴が、「怒り」。ということなのだ。
被害者でない人は怒りを感じない。傷つけているのは自分。
状況の捉え方を変えて、被害者になるのをやめよう。
待たされた~!!って言って、心が悲鳴を上げている。でもちょっと待って。
役割期待がズレてるんじゃないの?ズレを直せばいいのに、直さないままで自分で傷つくように持っていってるんじゃないの?
怒ってるのが好きで、ずっと怒っていたいんだったら、そのままでもいいけど。
被害に遭った、と断言できるほど証拠はあるのか?
つい怒っちゃったけど、あれ?なんか違うかも?みたいな(^^;
というのが自分の中の湧き起こる怒りへの対処法である。
怒りを消す方法は、役割期待のズレを直すことと、被害者になるのをやめること。
こうやって考えてみると行列に並ばないと入れないラーメン屋で、ラーメンが食べたくて並んでおいて、ストレスを溜めるなんてね~。
すでに、並んで待たされている時点からそのラーメン屋のラーメンを食べることは始まっている。「家に着くまでが、遠足だ」みたいな。並んで待っている時間も、ラーメンへのワクワクを高める時間っていうかね。店の前で、ラーメンのお預けをくらってる状態。
「もう少しで順番が回ってくる~♪」順番待ちを含めて、全てがアトラクション。人気のラーメン屋はラーメン界のスプラッシュ・マウンテンやで~。
まだまだ考察は続く!