社交不安障害を治すために②治ったというのはこういう状態を目指すこと

不安を感じたくない。不安が無くなれば、この苦しさから解放される。そう思って不安を悪者にしていた。だけど、安全確保のために必要だと分かった。

苦しい社交不安障害を治したい。もし、不安をキレイさっぱり消し去ったらどうなるのだろうか。

不安を感じることが出来なければ、それはそれで困ったことになる。不安は安全確保に必要だから。

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今回の疑問「社交不安障害が治るって不安が無くなることじゃないの?」

私なりの結論『自分の力を感じられるようにコントロールを取り戻すことが大事』

不安を全然感じなくなってしまったら、それはそれで「不安を感じることが出来ない」という病気で困ったことになりそう。だからって不安を感じ過ぎるのも病気なわけで・・・。

じゃあ、不安をどうしたらいいのか。

不安障害は不安の「質の問題」ではなく「程度の問題」

不安を消し去ってもダメ、感じ過ぎてもダメ。ちょうどいい感じ方をするのが良いということになる。

症状を引き起こすのは「どんな不安なのか」じゃなく「不安の強さ」が問題。

友達との気軽な食事会での不安なのか、大勢の人の前で注目を浴びながら料理を食べる時の不安なのか、ではない。

ゆっくりと落ち着いてお箸を持とうと思えるような、普段より丁寧になれる不安の強さなのか、お箸すら持てない震えを起こす不安の強さなのか。

普段より丁寧になれる不安の強さなのであれば、人前で注目されながらの食事であろうといい。

震えてお箸を持てないなら、大勢が見てようと友達だけだろうと、問題になる。

社交不安障害には2つの種類がある。

「全般性」社交不安障害・・・人とかかわるほとんどの状況を恐怖とする状態

「限局性」社交不安障害・・・「人前で話しをする」などという特定の状況だけに恐怖をいだき、それ以外では普通にしている

全般性の方が重症っぽいな。

最初、私は外食時の吐き気だけに困ってて、他の時は普通だった。それがいつからか、もう人と接するのがイヤで友達でさえも避けるようになった。

限局性だったのに、全般性になっちゃったんだろう。知らないうちに。

なんで?私に断りもなく勝手に全般性になるってどういうこと!?特に何もしてないのに、ひどくなっていくなんて怖いわ!

「人とのかかわり方」は症状そのものであると同時に、症状を左右するものでもある。社交不安障害は、複数の悪循環によって維持されている病気。

これは前回の記事でも書いた。恐ろしい悪循環が社交不安障害にはある、と。

それが、なんだって?「複数」あるって!?ギョエー(^◇^)←怖すぎて笑っちゃう

その悪循環は3つある。

まず1つ目はこれ。

まず、人とのやりとりへの不安が、実際の対人関係場面での不安症状を増やすので、その経験からますます人とのやりとりを不安に思うようになる

人とのやり取りを想像して不安になる→→実際に人と会って不安症状が出る→→その経験からもっと不安に思うようになる→→実際に人と会ってもっと不安症状が出る→→その経験からもっともっと不安になって→→もっともっと不安症状が出て・・・(繰り返し)

簡単に書くとこう。

想像の不安→→実際の不安症状→→想像の不安→→実際の不安症状

という想像と経験の繰り返しで倍々ゲームのように不安と不安症状が強くなっていく。

2つ目はこれ。

不安のためにうまく振る舞えない自分のことを責めていますが、そうやって自責的になりストレスが高まると不安症状もひどくなり、そんな自分をますます責める

不安のためにうまく振る舞えない自分を責める→→自責的になってストレスが高まる→→ストレスが高まると不安症状もひどくなる→→そんな自分をもっと責める→→もっとストレスが高まる→→もっと不安症状がひどくなる→→もっともっと責める・・・(繰り返し)

これも簡単に書くとこう。

責める→→不安症状→→責める→→不安症状

3つ目はこれ。

社交不安障害の人は、自分はできそこないで人から好かれないだろうと思っているので、自分の悩みなどをなかなか人に打ち明けません。その結果、人と親しくなれず、孤独感が高まり、やはり自分は人から好かれないと思う

この3つの考えって、社交不安障害を維持するための方法だったのか。あららら~。

社交不安障害じゃなくて若さとかスタイルを維持してくれる循環ならいいのにな~

思い返してみれば、頻繁にこの悪循環の中にいた。人との待ち合わせの場所へ向かう電車の中で1つ目の悪循環を頭でやっていた。私としてはシミュレーションのつもりで、これから人と会うことを考えてたのに。確かに想像で不安になっていた。

そして、帰りの電車の中で2つ目の悪循環に。反省のつもりだった。確かに不安症状が出る自分のことを責めまくっていた。

私は電車の中にいただけでなく、悪循環の中にもいたんだな~。

「不合理な不安にとらわれて社会生活に支障をきたしている自分についての情けなさ」も、社交不安障害の苦しみの重要な要素

「自分は病気だと思わない」自分は人間としてできそこないだ、と感じている人がとても多い

こうやって文字にされると、心にグサっと刺さる。「自分についての情けなさ」「できそこない」だなんてね。

社交不安障害の人に「そんな悲しいこと、考えないでよ!」って言いたくなっちゃった。客観的に文字で見てたら。

けど、自分の中でグルグルとこの考えが巡っている時は、どんどん深く考えていっちゃうんだよな~。シミュレーションしたり反省すれば改善出来るんじゃないかって。それでも不安症状が強くなっていくんだから、自分が悪いんだなって。

そういうのも全部ひっくるめて、社交不安障害を維持するための悪循環、というわけか。あら~、やられたわ~。

このうちの一つだけでも、悪循環を打ち破ることができれば、計り知れないプラスの効果が。

不安を想像したり自分を責めたりすることを、やめられるのかな~・・・。考えようとしなくても考えてしまう。勝手に考えが回り始めるもんな~。

悪循環の一つの特徴は、自分自身がコントロールを失っているというところにある。もがけばもがくほど状況が悪くなるから。不安障害の辛さの一つが、間違いなくこの「コントロールの喪失」にある。

自分でそうしようって思ってるわけじゃないのに、いつのまにか不安を想像したり自分を責めたりしてしまっている感覚があった。それってコントロールを失ってたってこと!?

吐き気や手の震えなどの不安症状もコントロール出来ないし。

不安障害の治療の大きな目標が「コントロールを取り戻す」ということ。

コントロールとは、自分のやりたいように調節すること。自分の思うところにボールを投げたり蹴ったりすることができる能力。

コントロールを取り戻すためには、自分に何が起こっているのかを正確に知ることと、実現可能な目標を立てること。

治療目標を、「症状」という自分が直接コントロールできないものにはあえて置かず、「自分の力を感じる」ことを目指していく。

社交不安障害の人が今まで取り組んできた目標(とにかく症状さえなくなってくれれば)とは全く逆のアプローチ。

苦しいから、不安は全て消し去ってしまいたかった。

でも不安は安全確保のために必要。だからって日常生活が送れないくらいの不安症状は困る。

外食時の吐き気を闇雲に恐れていましたが、社交不安障害だって知ったら少し安心した。

気合いや自分を慣れさせることで克服しなきゃって思って耐えているのに効果が無くてしんどかったのが、こうやって本を読んで社交不安障害のことを知っていくと、どうすればいいのか見えてきた。

回復のイメージは、「不安症状がきれいになくなる」というものではなく、「回復に向けての取り組みそのものが、自分の力を感じるプロセスになる」というイメージ。

社交不安障害というものを知る前は、不安症状を闇雲に恐れてたし、自分ではもう何をやっても抜け出せないって落胆してたのに、ちょっと元気になれた。

本を読んで、社交不安障害のことをよく知って、自分がどんな状態なのかが分かって、どうすればいいのかが見えたからだ。


私、やれるかも!治せるかも!

自分の力を感じる!・・・単純だな(^◇^) ひょっとしたら、こういうことで良いのかもしれない。

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回復に向けての取り組みそのものが、自分の力を感じるプロセスになるということを分かってなきゃいけない!

押して開くドアを、ずっと引いてて、力いっぱい引いても開かなくて泣いてた、みたいに、私は吐き気を克服出来ないのは自分の気合いや慣れが足りないからだと思っていた。

「結果」ではなく「プロセス」に満足を見いだせるようになった時、社交不安障害は本質的に治ったといえる。

押して開くドアは、押せば開く。引いて開くわけないのに、引く力が足りないって泣かなくていいのだ。ものすごく強く引けば、開くかもしれない。けどそれは、開いたんじゃなくてドアが壊れたってことだ。

気合いで吐き気を耐え続けて、克服出来ない自分を責め続けてボロボロになってしまえば、不安症状を出す機能をつぶせるだろう。その時は、苦しいと感じる機能も働かなくなっていそうだ。

しかし、私は壊れたくない(笑)

まだまだ考察は続く。

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