外食での吐き気、書痙(字を書く手が震える)、息苦しさ。
社交不安障害を知らなかった私は、症状が出る自分が嫌だった。何にもないところで派手にコケた時みたいな心境だ。「なんで私はコケたの!?私が異常なんだ。1人まぬけで情けない。」
こんなに緊張するし不安で苦しいのは、私が臆病で小心者だからしょうがない。諦めモードでしばらく過ごしていた。しかし、カラオケで息がしにくくて苦しくなった経験をして、考えが変わった。
ちょっと待って!息が出来ないと死ぬから!!それより、地上で空気吸い放題な場所で息がしにくくて窒息するの、意味不明だから!!そんな訳分かんない感じで窒息するなんて、死ぬに死にきれんわ!
というわけで社交不安障害について本を読み、数回に渡り、このサイトでまとめてきた。
本のまとめは、今回で一段落。
今回の疑問「社交不安障害との向き合い方は?」
自分を守ろうとしてやってることがいろいろある。でもそれが本当に自分を守れているのか?どうなんだろう。
自分を守るために採用してきた方法の本当の効果を探る
不安から守るためにやっていることといえば、人と目を合わさない、目立たないようにする、スマホをいじったりして忙しそうにする、など。
こういうことやってるな~って思い返してみて、それが実際の対人関係にどんな影響を与えているのか、自己肯定感には良い影響となっているのかってことを考えてみると、おや?
スマホをいじっている人には話し掛けにくいし、人と関わることに関心がないように見える。
目立たないようにしようという意識は、自分は人から隠れていなければならない人間だっていう感覚を強めるし、自己肯定感を失っていくことになる。
今までの防御法は自分にとってマイナスだということがわかると、新しいやり方を試してみようと思える。
対立やリスクに向き合うことを考えてみる
「自分は状況に責任を負える人間なのだ」という感覚は、自己肯定感を高めるものです。少なくとも、状況が他人次第ということではなく、自分もそこに何らかの影響を及ぼすことができれば、コントロール感覚をもたらすことになるからです。
対立すると全てが破滅的な結果につながるって思いがちだが、実際はそうじゃなくて、話し合いであやふやになってた部分が解決したり、事態の改善につながったりする。
対立が破滅的にならないようにするためのポイントは、相手の敷地、自分の敷地の境界線を守ること。相手の敷地に踏み込んで「△△を選ぶなんてありえない!失敗するに決まってる!」っていう言い方ではなくて、「私は○○になるのが心配だから、■■がいいと思う」と、自分の敷地で話すこと。
対人関係のポジティブな体験に目を向けていく
誰かと接している時に感じる不安や恐怖ばかりに目がいくが、人と触れ合う時に感じる単純な喜びに目を向けること。
対人関係療法をやってみよう、人に話し掛けてみよう!と勇気を出して一歩を踏み出す時、ハードルの低いところからスタートする。
ささいなことでも今の自分にとってはハードルが高いな~と感じたら、そのハードルを下げる。どうすればいいかというと、自分のコントロール下におくことを考える。
例えば、相手からかかってくる電話を待つのは、いつかかってくるか自分でコントロール出来ないのでドキドキする。こっちから掛けるようにしておく。話す内容を事前にメールで伝えておく。そうすれば話題をコントロール下におけるのである。
そして、どんな人でも不安は感じるってことを忘れないこと。
みんな完璧な人間で、不安を感じてるのは自分だけって思って不安を隠そうとする。だけど「見られてるから私、今緊張して手が震えてます。」と思い切って言ってみると、コミュニケーションになって場がなごんだりする。
予期不安は人に話すことでやわらぐ。不安をありのままに受け入れることが重要だから、感じないようにしようとするのは逆効果。
相手が自分をどう見るかということに意識が集中してしまいがちだが、相手の事情を考えるという習慣をつけること。「自分の問題」ではなく「相手の問題」として見ることが出来る様になると社交不安がぐっとやわらぐ。
いろいろ試してく中で、不安症状が強くなった場合は「風邪が治りかけの時も咳が強く出ることがあるしな~」と考えて思いつめないこと。
「では、不安反応はいつ収まるのか」というところに目を向けてしまうと、結果として不安反応は気になり続けると思います。不安反応についてのコントロール感覚が持てないからです。
なんにも良くなってないって思うことが、不安症状に力を与えてしまう。
風邪の時は咳が強く出たとしても、熱は下がってきてるし体のダルさも昨日よりはラクになってるから、治っていってることを感じられる。咳が出ても風邪が全然治ってないって絶望することは無いはず。社交不安障害も病気。同じことだ。症状が出たからって絶望せずに、少しずつでも快方に向かっているってことの方に目を向ける(^◇^)/
自己肯定感を高めていくためにとても重要な感覚がある。進歩を振り返り、「結果に自分も責任を負っている」という感覚だ。
たまたまうまくいったのではなく、自分で達成して進歩してきたということ。偶然でも、たまたまでもなく、その結果には自分も責任を負ってる。自分の実力で進歩という結果が出せた。その感覚が重要だ。
というわけで、何回にも渡って本を参考にしながら社交不安障害について考えてた。
それでは最後に「社交不安障害の治すために」の締めくくりを。
本には「家族にできること」という最終章がある。私は1人でなんとかしようとしているから「家族にできること」は関係無い内容だから読み飛ばそうと思っていた。でも、読んでいて気付いた。
私の中に居るもう1人の自分。私の中には、外食で吐き気がしている私を責めているもう1人の自分ってのが居る!って思った。そのもう1人の自分に、この最終章の「家族にできること」を言い聞かせたい。
もう1人の自分は、社交不安障害という病気を知らない。
おい!私の中のもう1人の自分!最終章の「家族にできること」をよく読め!!「ご家族が」って書かれてるところは、全部もう1人の自分に対して語られてるんだぞ!社交不安障害の私に話しかけるなら、よく理解してからにしてくれ!
そして、もう1人の自分が、社交不安障害の私にとっての良き治療者になってくれればいいな~。そうすれば自分で社交不安障害を治すことが出来る。
本によると対人関係療法を専門とする人でなくても、治療者になれるって書いてあるから。
ポイントは
1、「何を考えているのかわからない」タイプではなく、自分の味方になってくれていることがよくわかる人
2、社交不安障害を病気として扱ってくれて、その病気の症状による自分の苦しみをわかってくれる人
3、批判的ではなく温かい人
私の中のもう1人の自分くらいは、せめて無条件に私の味方であってほしい。
もう1人の自分は、このポイントを読んで衝撃を受けた(笑)あ~そうだったのか、自分は逆をやっちゃってたなって。もう1人の自分は当然味方だけれど、味方のくせに社交不安障害の私を攻撃してたし、症状の苦しみは本人なんだからわかってるのに社交不安障害を病気だとは思ってなかったし、不安症状を出す私を責めて批判的だったし。
自分で自分の治療者になって社交不安障害を治そうとしてきたけれど、治すためには安心感の持てる治療者じゃなきゃいけなかった。反省。
私の中のもう1人の自分が、安心感の持てる治療者になることが大事
本を抜粋しながら、自分の言葉でまとめていくとしっかり頭に入るものだな。自分の言葉で書こうとするから、本を何度も読むことになった。読み込むと、自分のこれまでの経験とつながって、「あ~なるほど。あの時の私のあの感じは、こういうことだったんだ。」ってスッキリと整理されていった。
といっても、ついつい今までの考え方をしてしまって「おっと、それは社交不安障害の悪循環だった」と覚えている今は気付くものの、忘れてしまいそうな気がする(^^;
参考にした本や、書いた記事を定期的に読み返そう!
まだまだ考察は続く。