人と接するのがどんどん怖くなっていってるから何とかしたい

社交不安障害についてあれこれ書いてきた。

外食での吐き気を「緊張してるからだ。外食に慣れたら吐き気もなくなる。」という考えだったのが、「マジでヤバい」と思い始めて、社交不安障害のことを知ってからガラリと認識が変わった。

そしたら、外食での吐き気とかが無くなっていた。カラオケで息苦しくて窒息するんじゃないか!?ということも無い。

それらの「不安症状」と言われるものたちは、消えた。日常生活を困難にさせるような、吐き気とか手の震えとか窒息とかは無いんだけれども、いつまでたっても「人が怖い」のである。

そのことについて考えてみる。

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「通販で荷物が届くのが楽しみにも関わらず、配達の人が来ると思うとビクビクしてクタクタに疲れる」

私なりの結論『人と接することを回避してきたから、症状がひどくなっていった』

いつの頃からか、スーパーのレジの人の顔が見られない。目を合わすのが怖い。

「レジ打ってるところを私が見てたら、見られてるのが気になって店員さんは困るんじゃ無いだろうか。見られたくないかも。」って勝手に私は気を使って、どこか遠くを見ている。

自分がされたら嫌なことは人にしない。私は自分がもしレジをする立場だったとしたら、じっと見られてたら緊張してしまう。だからこの店員の人のことも見ないでおこう、みたいな。

で、「○○円です。」と店員さんに言われて、お金やポイントカードとかも受け渡しする。「袋はこれで足りますか?足りなかったらおっしゃってくださいね。」とか言ってくれる店員さんがいて、その時は顔を見てやり取りすればいいんだろうけど私は下を向いている。

あーだこーだ書いてきた。何が言いたいかというと、私はレジの人の顔が見たいのである。

レジの人の顔くらい、見ることができる人間になりたいのである。あ、この言い方の方がしっくりきた(笑)

今現在まで、何百回とレジで会計をしてもらってきた。その中でたったの1度も、店員さんが嫌な顔をしたり嫌なことを言ってきたことは無い。

嫌だった印象はなく、印象が何か残ってるとするなら、むしろ、丁寧で親切な人がいるな~と思うくらいの。

それにレジの人の顔を見たところで、服屋じゃないんだからベラベラと話しかけられることなんて絶対に無い。レジの人の顔を見たところで、親しくなることも無い。こっちの境界線に入ってくることなんて絶対無い。

だから安心して、顔を、目を、見ていいのだ。

そう、こうやって書いていると、「そうだよな、見ていいよな」って思うんだけど。実際にスーパーでレジに並ぶと、なんかこういうことを忘れちゃって、どっか見てたり下を向いたりする自分がいる・・・。

人への恐怖もあるけど、もう「人の首から上を見ない」っていうクセがついてるんだろうな。

首から上を見ないどころか、どっかを見てて、人を視界に入れない見ないっていうのが、私の普通なのだ。

どうすんだよ~!!!

社交不安障害に、「回避」ってのがあるけれども、回避がもう私の行動の中に染みこんじゃってるんだ。

で、別にいいっちゃいい。人の顔なんて見れなくても。

吐き気や書痙や窒息は、すごく困った。だから何とかしたかった。それが今、何とか出来たわけで。

そしたら、吐き気に苦しまなくなったら、体がラクになったら、今度は「人と接する時の緊張感。」がしんどく思うようになってきた。

外食で吐き気があった時は、あの吐きそうな気分が悪いのしんどくてしんどくてもうイヤだった。

外食が出来ないのはどうでもいい。お腹が減ってようが、吐くかもしれないから美味しそうなものが目の前にあっても口に入れられないってのも、本当は食べたいけど別にいい。

この吐き気!この胸が気持ちが悪くて冷や汗が出る感じ。これを味わうのがイヤだ。もうこれを感じたくない。吐き気じゃなくて、例えば手首の関節が痛いとかに変えられるんだったら、その方がまだいい。

とにかく、吐き気が嫌だった。だから、その症状を消すことが出来て嬉しい。手首の関節痛を交換条件にすることもなく(笑)

その時は、今よりまだ精神的な持久力があったのか、人と接する緊張感に対しては耐えられていたし、逃げればいいや、避ければいいやって思ってた。

ところが、人と接する緊張感に、いよいよ耐えられなくなってきたのだ。

クタクタだ。

通販で、物を買いたい。でも、家に配達に来られて、品物を受け取らなければならない。それがイヤだ。前は「家まで配達してくれるなんてラクだな~」って思ってたのに!家のチャイムが鳴るのが怖い。

インターネットで、品物を注文する。発送しましたというメールが来る。その時点から、「問い合わせ番号」で配達状況を逐一チェック。「持ち出し中」となった途端、緊張感が全身を襲う。

品物は待ち遠しい。配達員が来るのが怖い。いや、配達員が怖いんじゃなく、「人と接する」ということをしなきゃならないのが嫌だ。

ただ品物を受け取って、はんこを押すだけなのに。それだけのことなのに。

品物が軽くて小さいものだったら、そのやり取りもパッパと数秒で終わるくらいのことなのに。

話を戻すと、人の顔は見れなくってもいいんだけど、レジの人の顔も見たいわけじゃないし見れなくてもいいんだけども、配達員が来ることに恐怖を感じるようになってしまってるのがツライ。

外食の吐き気が消えたら、今度はこういう症状が!?

「人と接する」ことに対しての恐怖がすごくなっていて、どんなささいなことでも無理になってきている。今はまだ恐怖を感じつつも、配達員から荷物を受け取り、はんこを押すことは出来る。スーパーで買物も出来る。

もしこのまま酷くなっていけば、スーパーで買物が出来なくなるかも。あ、セルフレジがある店だったらいけるか(笑)

社交不安障害の「悪循環」にハマっているのかもしれない。

レジの人の顔を見ないようにしてたら、本当に「見れなく」なっていって・・・ついにレジに行くのが怖くなるのかも。

これはヤバい。「人と接する」ということについて、なんとかしなければ。

回避して、症状を悪化させていってる場合ではない。

だからといって、レジの人の顔を頑張って見るようにする、とか、やたらと通販で買って配達員とのやり取りの回数を増やすってことをするのは、治すこととは違うってことを思い出さなければ!

これもきっと外食の吐き気の時と同じように、社交不安障害の治療の方法で取り組めばいいんだと思う。

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社交不安障害の症状だと思うから、外食での吐き気と同じように、治療できるかもしれない。

カラオケで息苦しかった時と同じような感じだ。「カラオケをしているだけで、こんな緊張で呼吸がうまくできずに息苦しいなんて!地上にいるにも関わらず、窒息死してしまう。ただのカラオケで。空気吸い放題なのにも関わらず。なんじゃそれ~!!」

配達員が家に荷物を届けに来るだけで、こんなに緊張と不安で気を張り詰めてクタクタ。自宅っていう最も落ち着ける場所にいるのに。しかも、自分が欲しいものが届くというのに。それに配達員は荷物を届けたらさっさと帰るというのに。

こんなことくらいで、こんなクタクタっておかしいだろ!?こんなことくらいで、こんなに気を張り詰めてたら、やっていけない・・・・。

まだまだ考察は続く。

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