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緊張するのをやめる方法

緊張するのをどうにかしたい。

失敗しちゃいけないことを目の前にして緊張してるならいいんだけど、なんてないことに対して緊張してしまっている自分。

不安が全身を覆って怖さでどうにかなってしまいそう。

泣きそう。

こんなことくらいでいちいちドキドキしたくないんだけど!身がもたないんだけど!

最近読んだ本に、そんなことで克服できんの!?うそ!マジで!?って言いたくなる克服方法が書いてあった。

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「緊張したくないんだけど」

私なりの結論『思い切り緊張してやる!と思う。恐れると現実化してしまう。』

やっちゃだめ、と言われたら、やりたくなる。

「私、やらないよ!」

「お前やらないんだったら、俺がやる」

「じゃあ、アタシがやる」

「いや、僕がやるよ!」

「え、だったら私がやる」

「どうぞどうぞ」

緊張したくないから、緊張しないようにしよう、と試みる。

「この状況は別に大したことは無いんだ。だから緊張する必要はない。人は別に私のことなんか見てないから大丈夫、緊張しないでいい。さあ、深呼吸をしよう、スーハー。手に人を書いて飲み込もう、ごっくん。なんか胸がざわざわ・・・気にしちゃだめだ、私は緊張なんかしていない!」

とまあ、こんな感じで、緊張している自分を見ない、隠す。

言い聞かせることで緊張しないように頑張ったこともあった。

それから他にも、「緊張してま~す。」と言っちゃうことで気が楽になるんだよって方法も聞いたことある。

緊張を取るために。

それがここにきて、私にとっては画期的な方法を知った。

YOU、緊張しちゃいなよ、と。

手に汗をかけるだけ、かくんだ。心臓の鼓動をもっともっと速めるんだ。体の震えをさらに強く。

そしたら、落ち着くらしいのだ。

なんなのだろうか?我々はあまのじゃくなのか?

宿題をしなさいと言われたら、したくなくなる。

やらないでいいって言われたら、やらないでいるのが不安になってやりたくなる。

そんな感じなのかな。

本に書いてあった事例はこれ。

今居る場所からまっすぐのところに的があるとする。

その的にめがけて、紙ひこうきを飛ばす。左から風が吹いていた場合、そのまま的にめがけてまっすぐ飛ばすと左に曲がってしまう。

そんな場合は誰でも斜め左に向かって飛ばすだろう。風によって左に押し流される分を計算するからだ。

そうすれば紙ひこうきを的に当てることができる。

それと同じで、もしも人間を単純にあるがままに考えると、私たちは人間をより悪いものにしてしまう。

患者の血圧が160だと告げれば、興奮して180になるし、まあ正常だと言えば、安堵して正常値になる。

人前で話すと緊張して震えるという症状があるとする。

その震えは、「うまく話せるかな」という不安からくる。

不安からくるその震えの症状が、起こるかもしれない不安。

起こるかもしれない不安を抱えて不安になる。

不安発作に対しての、不安に対する不安。

恐れはすでにそれだけで、自分が恐れているものを現実化する。

緊張してしまうのを恐れると、実現化してしまうのだったら、どうすればいいのか。

恐れなければいい、ということになるけども。

いや、だから、こわがりたいからこわがってるんじゃないっての。こっちだって好きで恐れてるんじゃないわ!

やめていいんならやめるわ!やめられるんなら、やめたいわ!

っていっても、こわいんだから無理。恐れることをやめられない・・・。

だからどうするのかというと、緊張するのを恐れないようにするっていう程度じゃなくて、むしろこちらから積極的に、やりたくなればいいのだ。

緊張してしまうのを恐れるのではなく、緊張したくなればいい。

「やったー!緊張できるんですね、あざーっす!したかったんですよね、緊張。」

「緊張がしたくてしたくてしょうがない。やっと緊張できるのね。思う存分緊張しまくるぞ。」

恐れているものを願望して、不安をくじくのに成功する。

これを逆説的志向という。

私がまだ外食での吐き気がヒドかった頃の話。

友達との飲み会の約束があり、電車に乗っていた。ある時、行きの電車で早々に吐き気が始まってしまった。

電車の中で吐いたら迷惑がかかる。絶対に吐いてはダメ!

そう思うと、体にグッと力が入り、余計に吐きそうになった。冷や汗をかき、「マジでヤバい!」となった時、吐かないでいられそうもなかったから、もし本当に吐いてしまった場合について考えた。

自分のかばんに吐けば、床とかを汚さないで済む。今はお腹空いてて胃の中は何もないはずだから、かばんで吐いたものを受け切れるだろう。

そうだ、かばんに吐けばいいんだ。だから吐いても大丈夫だ。

もう、かばんに吐こう。

そんな覚悟を決めた・・・・その後、吐き気が軽くなった。

「電車の中で吐くわけにはいかない。」と考えてた時は冷や汗をかくほど吐き気が強かったのに「電車でも、自分のかばんに吐けばいい。」というモードに切り替えたら、吐き気が軽くなるっていう。

吐こうとしたら、吐かないのである。

ウソみたいな話だけど、でも、本当だ。

これって逆説的志向っていうのね。知らなかった~。私は知らないうちにやってたのか~。

吐いてもいいや、と思ったのに、吐かずに駅に到着。

「マジでヤバイ。もう無理だったら吐くしかない。」そう腹をくくったら、吐かなかった。

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緊張しちゃダメだと思うと緊張する。緊張しようとすると、緊張しない。「恐れる」と現実化してしまうから。

家でダレけた生活を送っていると「緊張感を持って過ごそう」と思う。気を張ろうとするけれど、出来ない。ダラけてしまう。これも逆説的志向と同じことなのかな。

明石家さんまさんの言葉を思い出した。「わざと打たせたパンチは効かない」ってやつ。

パンチされたら痛いって分かっているのに、「ここ殴って」ってパンチを打たせる。殴られた部分は当然、痛い。痛いんだけど、致命傷にはならない。

か弱い子供のパンチでも、それが不意打ちだったらダウンしてしまうかもしれない。

パンチを打たれたくない、受けたくないって思ってると殴られた時メチャクチャ痛い。「殴ってこい!」と思ってると、痛さに耐えられる。

緊張も、したくない、怖い、と思ってると耐えられない。「緊張よ、さあ来い!」と思ってると、緊張が大したことなくなっている。

恐れたら、その「恐れていること」が現実化してしまうってことを忘れないようにしないと。

あ、これ、落語の「饅頭こわい」みたいだ。まんじゅうを怖がったら、まんじゅう貰えた、みたいな。

叶えたい夢とかに対しても使えるのかな。「もし願いが叶ったらどうしよう、こわい。絶対叶えないようにしよう。」って、恐れれば、現実化する・・・?

それは、どうなんだろうな~。分からないな~。

まだまだ考察は続く。

読んだ本はこれ。


この本、文章の書き方(言い方?)が独特すぎて、日本語がよく分からなかった。だけど慣れてくると、その読みにくい文章がなんかクセになった(笑)

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