嫌われる勇気という本に、「他者からの承認はいらない」と書いてあった。
人は、承認欲求というものを満たしたくて、苦しむんだと思うんだけども。
人に褒めてもらえないと挫けそうなんだけど?
前回の記事にも書いたのだが、みんな、人に好かれたいと思うから、こう言ったら好かれるだろうなと思うことを言ったりする。でも、「さほど好かれないんですよ。」とテレビで中井貴一さんが言っていた。
さほど好かれないわけだから、好かれるだろうなと思うことを言わなくてもいいのかもってことになるんだと思う。
しかしながら、人に好かれたいと思う気持ちは無くなっていないわけで。
承認欲求には、人に認められたい褒められたいという他者承認欲求と、理想の自分になりたい、今の自分に満足したいという自己承認欲求がある。
先日、テレビで柔道の野村選手が話してたことが印象に残った。
オリンピックで2連覇した後、引退しようと考えていて柔道から2年離れていた時期があったそうだ。
オリンピックで3連覇を目指すために、また柔道を始めたのだが、2年間のブランクは大変なものだった、と。
前は組み合ってバチーンって投げてたのが、負けたくないって思って体に力が入ってしまう。
畳の上で、相手が怖くなった。負け続けた。野村選手はそんな自分に失望。
周りも「あ~あ、あの時、やめとけばよかったのに」という目で見てくる。
でも、それを乗り越えて金メダルを獲得。
どうやったのかというと、まず自分を考えてみたそうだ。
「2連覇した時みたいに格好良く勝たなきゃいけない。負けた姿をさらせない。」
そう思って、自分が自分を小さくしてたことに気付いた野村選手は、「こんなに負け続けて、周りからも批判されたり失望されてたら、もう今さらカッコつける必要ないな」と思った、と。
負けてもいいし、泥臭くてもいい。
そこで始めて、「開き直り」というのをした。
それまでは「開き直り」という言葉が嫌いだった、と。開き直り=あきらめ、だととらえてたから。勝つための練習をして、勝つべく試合をする。それが自分のポリシーだったから。
勝たなくていい、サラっとかっこいい柔道をしなくてもいい。開き直りをしたことによって、野村選手は2年のブランクを乗り越え、金メダルを獲れたのである。
これからのことも話されていた。
倒されても倒されても、やっていく自信はあるのかどうかについて。
若い時はスター選手。その後、年齢とともに衰えたり、ケガを重ねたりして、出場の機会が失われて行ったり。
昔ほどの活躍ができなくなっでも、真摯に競技と向き合って、自分なりのスタイルを作ってやっていく。
現実はしっかりと受け止める。
昔の自分の柔道はもう取り戻せないから、今の最強の自分を作り上げていく。
日本のトップ選手たちと勝負したい。それがオリンピックの舞台でなくてもいい。
これが野村選手の出した答え。
かっこ良く勝ってるところを見せたいという承認欲求が自分を小さくさせて、負け続けることになってしまう。
かっこいいと思われなくていい、カッコつけないで泥臭くいく!と思ったら、勝ててメダルが獲れた。
柔道が好きで、柔道をこれからもやっていきたいけれど、若い時に出来てた柔道が出来なければダメだと考えているならば辞めるしか無い。
衰えていってしまう自分を受け止めることで、柔道と真摯に向き合いこれからも続けていける。
他人からもカッコよく見られたいし、自分もカッコいい自分を見ていたいと誰もが願う。
苦しくなる承認欲求って、「1回も負けたことがない自分」をカッコ良いと設定した場合だ。
でも、負けても柔道が好きという気持ちを貫き通して、心が折れずに真剣にやり続けるってのもカッコ良い。
さらに、負けようが、勝とうが、俺は柔道をやるぜ!の方がかっこ良くてしびれる。
もう今さらカッコつける必要ないなという開き直り。それによって自分を取り戻せた。
自分にガッカリする勇気を持てたら、「1回も負けたことがない自分」の方ではなく、負けても続ける自分や、負けようが勝とうが続ける自分の方をカッコ良いって思えるようになるんじゃないかな、と。
自分にガッカリすることが出来た=開き直った
自分にガッカリ出来れば、他人からの承認が無くても立ち直ることが出来るんじゃないだろうか。
だから負けてもいいし、泥臭くていいってなった。
テレビを見て、そんなことをふと思った。
まだまだ考察は続く。