批判的なコメントを書き込んで嫌がらせする人の心理とは?

有名な人たちは、ツイッターとかブログをやっていると、嫌なコメントを書き込まれることが多いと思う。

有名人でなくても、そういうコメントが書き込まれることがある。1つの意見としてきちんと考えや思いを書き込まれているならまだしも、短い言葉での誹謗中傷はつらいものだ。

誰がなんでこんなことを書き込むのか。すごく不思議。

今回は、それについて考えてみた。

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今回の疑問「ケンカを売ってるようなコメントをなんで書き込むの?どういう心理なの?」

私なりの結論『嫌なコメントを書き込む人は、個人的に何か伝えたい意見があるわけでは無い。嫉妬によるやっかみ。その時目立ってたからターゲットにしただけ。』

書き込まれた側の気持ちは想像出来る。そのコメントを読んで傷ついたり落ち込んだりするだろうし、もうツイッターもブログもやめようって思うだろう。

ネガティブなコメントに対して、どう対処するのか。前回の記事批判的な人にイライラしないで対応する方法に書いた。気持ちの収め方は前回の記事の通りでいいとして、書き込む側の気持ちが知りたくて。

ネットをいろいろ見ていると、いた!自分に嫌がらせのメールを送りつけてきた人と会って話したっていう人が。それを読んで分かった。

なぜ、誹謗中傷を書き込むのか。ざっくりいうと「やっかみ」である。

やっかみっていうのは、妬みのこと。つまり、他人の優れた才能や成功や恵まれた状態を見て、不満に思い、我慢できなくて何かしてやりたくなるということである。

なぜ、誹謗中傷する相手をその人にしたのか。ざっくりいうと、ただ単に「目立っていた」から。

もともと個人的な恨みがあったわけでなく、目立ってたから、だ。その時たまたま目についた。

有名人が嫌なコメントを書き込まれることが多くなるのも頷ける。有名人は目立つからな~。目につきやすい。そして、有名になるくらいなんだから優れた才能があって成功してるし。

嫌なコメントを書く人のことを他人事のように言ってる私だけど。自分より優れている人を見て、妬む気持ちって私にもある。それが身近な人であれば、その人に対して冷たい態度を取ってしまうこともある。その人は何も悪くないのに。

冷たくしてしまったことを、後で反省する。自分の小ささを実感して自己嫌悪。

それと似たような感じで、人の幸せを喜べない時もある。「久しぶりにメールしてきたと思ったら、こういう報告かい!幸せアピールか!?」って思っちゃう。

心は無の状態のまま、指先だけで「お」と「め」と「で」と「と」と「う」という文字を続けて打つだけ。一つも思ってない。おめでとう、なんて。「こういう時には、この5文字を打って相手に送ることが法律で定められている」みたいな心境で、打ってるだけ。

「なぜわざわざ私にあなたの幸せを教えてくるの!?」って、静かにキレてる、私。

そういうことを何回かやっていたら、「あれ?私、性格が悪くなっている。」って焦った。

良かったね~!!(^◇^)と人の幸せを祝福出来ていた時期があったというのに。いつのまに、こんな人間になったんだろう。

きっとこれからも、人は「幸せなの~」って私に教えてくると思う。←言い方!(笑)

その度に、嫌な気持ちになるし、無表情で思ってもない「おめでとう」と口先だけのウソを言い続けなければならない未来を想像して、ゾっとした。

「教えてくれって頼んでないのに、なぜあなたの幸せを私は知らなきゃいけないの!?言ってくるな!」と1人で心の中でキレることになる。そして、自分を「そんなふうに思う最低人間だ」と思って悲しくなる。

助けてくれ~。

人の幸せを知る度、「それに比べて自分は・・・」って思い知ってしまう。幸せを報告される度、自分はそれを持っていないことに気付かされる。それが、苦しい。悲しい。

要は、嫉妬だ。幸せな人が羨ましくてしょうがない。

私は、嫌がらせのメールを誰かに送りつけていてもおかしくないレベルかもしれない。むしろ、なぜ送らないでいられてるのかな。自分の幸せをアピールしまくる目立つ人が見つかったら、私はやっかみを開始するのかもしれない・・・。ふふふ・・(^◇^)

それは冗談として、ふと思った。ひょっとしたら、攻撃を、相手に向ける人と、自分に向ける人に分かれるのかもしれないなって。

相手に向ける人の場合は、やっかみとして嫌がらせに走り、自分に向ける人の場合は自己嫌悪とか自分を責めたりして心を病むのかもしれない。

相手を攻撃するってことは、人と関わることになる。私は人と関わることが苦手だから、この場合は仲良くなるんじゃなくて攻撃するんだから関係無い!っていうことにはならず、人と関わる方向へは行くことがない。だから攻撃は自分に向けるしかない。

自分を攻撃するんなら、人に迷惑かけないわけだし、良いんじゃないかって思う。でも、もたないのだ、自分の身が。不死身じゃないから。何年も、何十年も攻撃してたら、壊れるから。

もちろん、人への攻撃もダメ。

っていうか、そもそも攻撃って何!?なんで、こんなことになるの?

あ、嫉妬だ。嫉妬が無かったら、やっかみも無い。嫉妬って何?

私が幸せじゃないから、優れた才能が無いから、恵まれた環境にいないから、優れた才能を持つ人、恵まれた環境にいる人、幸せだという人を見て嫌になる、ってことだとしたら、どうすればいいの?

それについては次の記事で。

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目立つ人に対しての“やっかみ”で、嫌なコメントを書き込んでいる。

前回の記事で、お笑い芸人さんに対する批判を読んで、本人でもないのに読んだ私がイライラしてしまってどうしようってことを書いた。

評価しないってことでイライラを消そうとした。でも、消し去ることがなかなか出来なかった。

その批判が「やっかみ」から来るんだと分かったら、イライラが消え去ったし、消え去ったどころか、嬉しくなった。

そうだろう、そうだろう。お笑い芸人さんは優れた才能があるもんね。その才能を見せつけられて不満がたまって、攻撃してしまったんだね。お笑い芸人さんは、嫉妬してしまうほど、すごいもんね~!!

批判されることは、むしろ優れた才能があることの証明、みたいな。うらやましくもなんとも無ければ、人から妬んでもらえないわけだから。嫌なコメントを見ると、称賛に思えてしまう。ツンデレ的な。

人様のブログやyoutubeのコメントなどで、批判的なことを書かれていると、通りすがりのくせに私は勝手に心を痛めてた。しかし、これからは大丈夫そうだ。誹謗中傷に見えるけど、そのコメント、称賛の裏返しでしょって。

まだまだ考察は続く。

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