ありのままの自分に対して何かを言われるのが怖い

少し前、メールをいただいた。

メールフォームは、このブログのどこかにこっそりと設置してある。

びっくりした。それを使ってメールを送ってくれる人がいたなんて。

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「このブログにコメント欄が無い理由」

私なりの結論『自分に向けられる言葉が怖いから。』

私はこのブログに、頭の中のごちゃごちゃを書いている。

取り繕わずに、そのままを書いている。

性格は悪いし、暗いし、結局は自分のことしか考えてないし、人への思いやりも無いし。

自分でブログに書いておきながら、書いた記事を読み返すのには勇気がいる。

自分にがっかりする勇気がいる。

それくらい、内面を書いているのだ。

だから、それについてコメントをもらうのが怖いので、コメント欄は消してある。

優しいコメントであろうとも、自分に対して向けられる言葉は、全て怖い。

こうやって頭で考えてるんじゃないな。やかんの水がハネて手に付いた時に条件反射で「熱い」と手を引っ込めてしまうみたいに、怖い!怖い!ってなってる。

メールが届いたことを知って、少しの間、メールを開封できなかった。怖かった。

だけど!

こっそり置いてあるメールフォームを見つけて、そして時間を数分でも使ってまで送ってくれているわけであって。

で、たぶんきっと、このブログを読んでいるはずで。どこにあるか分からないメールフォームを見つけて使うってことは・・・。

内面をさらしているこのブログに対する言葉は怖すぎるけれども、この怖いという自分の気持ちだけを大事にするわけにはいかない。

このブログを読んでくれて、何か思うことがあって送ってくれたのだろうし。

このブログを読んでくれてたら、私がきっとこんなようなこと(コメントをもらうのが怖いとか)を思う人間だということも予想してくれてるかもしれないし。

それでも送ってきてくれたんだから。

いろいろグルグル考えて、さんざん疲れた後に、ようやく覚悟を決めた。

全然関係無い宣伝メールであろうと、批判メールであろうと、アドバイスされるメールであろうと。

えーい!とクリック。

メールにはあたたかい言葉が書いてあった。

ブログを読んでくれたこと、ブログの内容を受け止めてくれたこと。そして、自分もそうである、と。

それを私に知らせてくれた。

本来ならば返事をするべきであろう。でも、何もできないでいる。直接のやり取りが怖いからである。

だから独り言のように、こうやってここを使って書いている。

私は、あたたかいメールをもらって嬉しかった。そして、返事で直接メールを送るのが怖くて、こんな優しい言葉をくれたし労力や時間使ってメールしてくれたのを分かっていながら、怖いからメールをもらいっぱなしにしている自分が嫌になった。

ここを使って書けばいいと思いながらも、あれから結構な日数が経っている。間接的に、このブログから返事をすることですら、怖いから。

重症だ。

結局は、メールをいただいて、私は無事では済まなかった。嫌な自分を思い知った。

この書き方だとメールの人を責めてるみたいだけど、全然違う!

何が言いたいのか分からなくなってきてしまった(笑)

えっと、整理しよう。

・メールをいただいて、メールを見るのが怖いことを自覚した

そうだった、コメントとか、自分に対する言葉が怖いんだった。人と、そういうやり取りをしないでずっといるから忘れてた。コメントが怖い、やり取りが怖いことを放置してた。

・内容がどんなものでも無事では済まなかった

「自分への言葉をもらう」ということは、私にとっては「事件」で「衝撃」だった。衝撃は感情を揺さぶる。だから無事では済まなかった。

というわけだ。

メールをいただいたことで、これらに気付いた。

メールのおかげで、向き合えた。

ありがとうございます。

メールをもらった日から、そしてメールを読んだ日から、だいぶ経過している。

それで衝撃が緩和されたからか、ここに書くことができたのかな。

実際に記事を更新できるのか、その勇気が出るのはいつになるのかは分からないけれど・・・。

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時間が経てば勝手に平気に・・・はならない。

というわけで、ようやく更新したこの記事。

私にとって、「自分に対する言葉をもらう」ってのが、衝撃になるんだな。そんな些細な事が衝撃って・・・。

そう思ったけれど、このブログだからだな。

なんの防御もなく、そのままむき出しの自分を書いてあるから。

だから、むき出しの私に対する言葉だからこんなにも怖いのかも。

メールをくれた方、ありがとうございます。

読んでくれた方、ありがとうございます。

外食で吐き気は治ったな~と思っていたら、なんか全部大丈夫になってる気がしてたけれど、無意識での回避により、自覚する機会が無かっただけなのであった。

だから、まだまだ考察は続く。

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