社交不安障害の治し方について何回にも渡って書いてきた。(→全8回)教科書として読んでいた本の中にビックリすることが書いてあった。
その部分を読んだ私は、これは別の記事でしっかりと取り上げたい!( ̄◇ ̄+)キラーン
強くそう思ったので、今回は思う存分私の思いの丈をぶつけようと思う。
今回の疑問「仲良くなりたくないから話したくないんだけれど?」
あの人と話したくない。だって仲良くなりたくないから。
なにそれ?という疑問はごもっとも!
もし会話をしてしまったら、相手が私に少し親しみを感じるようになるかもしれない。そしたら、これから街中とかで会ったら「こんにちわ~」とか声を掛けてくるようになりそう。
普通だったら、知り合いが増えて良いことですよね。だけど、私としては嫌なのだ。赤の他人でいたい。
こう思う相手は、だいたい家族の友人が多い。私のお父さんの仕事仲間のおじさんとか。
去年の夏のこと。お父さんの方のお墓参りに行った。で、お父さんは自分の地元に久しぶりに戻ってきたってことで、学生時代の友達と食事をする、と。お父さんの友達が、みんなで来てよって言ってくれたそうで、私達家族(母・妹・私)も一緒に行くことに。
お父さんの友達は社交的な性格の人で、まんべんなく全員に話を振ってくれるし、自分から進んでいろいろ話すので、母も妹も楽しく話していた。しかし私は「はい」くらいしか言わなかった。
「はい」では返事できない「どうなの?」という話の振られ方をした時には「え~と・・・(考えるフリ)」をしてて、そういう少し間があくと妹とかが「○○じゃないですか~」みたいに入ってきてくれた。
自分で話さずに、人に助けてもらうってね。恥ずかしがって全然しゃべらない人見知りの子供じゃないんだから!
お父さんの友達に何回か「おとなしいね~」と言われた。
緊張で話せないとかじゃない。話したくないのだ。いや、実際に話そうとしたら緊張で話せないのかもしれないけど。話したくない!っていう感情が私の中にいっぱいだった。
必要以上のことは話さない。必要であっても、頭に言葉が浮かんでも、話さない。ギリギリ言わなきゃ無視したと思ってキレられるかもしれないって時だけ、文字数を最小限にして話す。ツイッターよりも文字数制限厳しいのだ、私のつぶやきは。(笑)
お父さんの友達は、声は優しいし、テンションが高いわけでもなく穏やかな感じだし、今まで一切会ったこと無かったんだからきっと今後もそう会うことも無く、街中で親しげに「こんにちは」って声を掛けられることなんて絶対にありえない。遠くに住んでるんだから。
今ここで仲良く話したところで、お父さんは嬉しいだろうし(自分の友達と家族が馴染んでるのだから)、場の空気も良くなるし、悪いことは何もない。にも関わらず、あの時の私の変わらない硬い気持ち。
食事の後、みんなでカラオケバーみたいなところへ行った。みんなお酒を飲んで酔っ払って歌ったり話たりしてて。
お父さんの友達が私の近くに来て「心を開いた方がいいよ~」と言った。
言われた後、ただのおとなしい奴っていうふうには見えてなくて、心を閉じてるように見えるんだな~、なんてボンヤリと考えていた。開くもなにも、ドアがありませんけど?窓も無い。きっと壁だ。壁にドアと窓の絵が描いてあるだけだ。開くとかじゃない、壁なんだから。
また別の話で、お母さんの友達と街中で会って声を掛けられた時も、私は相手のことを誰だか分かってない感じで通り過ぎるということをしてしまった。普段私は人の目というか顔を見ないので、顔をよく知らないから半信半疑だったってのもあるけど。
前にも、家族で食事に行った時に、偶然お父さんの仕事仲間がいて、一緒の席で飲むことになった時も私は全然話さなかった。話を振られても愛想笑いだけして話を流すっていう。その人は近くに住んでるんで、道でよく見かける。だから余計に壁を作っておきたい。
こうやって文章にしてみると私の行いってすごいな。なんて最低なやつなんだろう、私は。
未だにこういう状態で、むしろヒドくなっている。最近は、なぜこんなにも遮断しているのだろうって、自分で不思議だ。
頑なにしゃべらない自分。話し掛けられても、答える気が無いというか、声を発する気が無い。何か言われて、頭の中で答えてるけれど、それを口にしない。だから、無視したことになっちゃう場面が増えてきた。
でも、普通に考えたら、仲良くなった方がいいだろう。家族には緊張することが無いように、仲良くなればその人と気兼ねなく話せるようになるわけで、緊張で疲れることもないし。性格が合わなそうな人相手ならまだしも。誰であっても、最初から一切仲良くなる気が無いって何なんだろうか。
あれ?私は何だかおかしいな~と思い始めたのが最近なんだけど。社交不安障害の本で、まさかそこをバシっと書かれている箇所があったとは。まさかの出会いに、びっくりだ。
「親密さへの不安」
少しでも親しさを見せると相手が急速に距離を縮めるかもしれず、自分が振り回されることが恐いので一切親しくならないようにしている、という人はあんがいいます。
そうそう!そうなんだよー!!!!!
うっそ!なんでここに私の事が書いてあるの!?
社交不安障害の人は、他人と親しくないことでさびしさを感じ、他人と親しくなることに恐怖を感じる、というジレンマを抱えています。
まさかこれも社交不安障害だからこその問題だったなんて。
確かに、そう言われたらそうだ。もともと人見知りだから話しかけることは苦手。だけど以前なら、向こうから話し掛けてきてくれた時とか、相手が話しやすい優しそうな人なら仲良くなることを拒否はしなかった。
遮断しだしたのは、カラオケで息苦しくて死にそうになって、しばらくしてから。社交不安障害が強くなった後。
ってか、この「親密さへの不安」、本に書いてあるってことはどうにか解決出来るってこと?
そういう場合に、境界線は自分で守れるという自信をある程度持っていることは重要です。親しさを見せると相手は距離を縮めてくるかもしれない。でも、自分の「敷地」に入り込むようだったら、自分はそれを食い止めることができる。また、親しくなったとしても、相手の「敷地」にまで立ち入っていろいろと心配しないこともできる。そんな自信をある程度身につけておけば、他人と親しくなることの恐怖が減じ、実際に他人との親しさを深め、さびしさを減じることができるようになるでしょう。
社交不安障害って、人と接する時にこんなに影響が出るのか。思ってもみなかった。
吐き気を感じていっぱい耐えてきて、美容院で受付の用紙への記入で手が震えて字が書けなくて何度も焦って泣きそうで、カラオケで息ができなくなってる自分にあきれて情けなくて嫌で、そういうのを存分に味わうことになっちゃって。
外食で吐き気を感じるようになってすぐに、「あれ?これはおかしい。なんでだろう。」って思って、さっさと調べて社交不安障害という言葉を見つければよかった。
街中で知り合いを見かければ、角をすぐに曲がって隠れて遠回りしないと怖いし、ついには人と仲良くなるのが怖くて仲良くなりたくなくて話す気が無くなってしまったなんて・・・。トホホ。
相手の気持ちは想像するしかないけど、私に話しかけるのにひょっとしたら勇気を出してくれたのかもしれない。話し掛けて、私に無視された形になって、人に話しかけることが怖くなった人もいたかもしれない。落ち込ませたかもしれない。
否定されたりするのが怖いって気持ちは、社交不安障害の私なら分かりすぎるくらい分かるのに、私がそれを相手にやっちゃってる。
私が、新たな社交不安障害の人を作っちゃうかもしれない行動を相手に対して、してしまっている。不安症状がどれだけしんどくて、精神的にもつらいかって経験してるのに。
人にヒドい対応をしてしまっているのかもしれないってことに、今気付いた。
その時は、人への恐怖の中にしかいないから。でも自分でしたことを、こんなふうに文章にしていくとようやく分かった。あ、私、ひどいなって。書かないと分からないものだな~。
そしてハッキリした。私は社交不安障害という病気にかかってるんだなって。
自分で境界線を守れるという自信があれば、親しくなることの不安が減る
社交不安障害の特徴に当てはまる部分が多いから、私はひょっとしたら社交不安障害なのかもな~。社交不安障害だったら、本に書いてある通りに「ものごとのとらえ方」のズレを修正していけば治るらしいし社交不安障害だったらいいな~。
なんてことをどこかで思ってた。やっぱり、病気にかかってるって嫌だし。
ズケズケした言い方をすると
「私の状態は社交不安障害の病状にすごくよく似てるけど、私は社交不安障害じゃない。だけど社交不安障害に似てるから、社交不安障害の治し方が効果がありそう。でもまあ、私は社交不安障害とは違うんだけどね。」
っていうのを私は心の奥底で思ってるんだ、今も。たぶん。
根が深いな~。社交不安障害は病気っていう認識は出来たんだけれども、私が病気にかかっているのは認めたくないっていう。私は健康だって思いたいから。
なんでこんなことを書いてるんだろう。今これを書きながら自分でビックリしてる。社交不安障害という病気にかかっていることを認めたくないんだな、私って。知らなかったわ!どうすりゃいいんだ。わかんないよ~(^◇^)
本を思い出すと・・・・感情は全部正しいから、全部肯定する。ということは、私は病気じゃない!と思って社交不安障害だということを認めたくない自分、それを肯定する?
「病気だと認めないと治らない!」って自分を否定しかかったけど。肯定していいのでだろうか・・・。
教科書教科書~。
病気だって認めたくないって何なの!?と、自分のめんどくささにイラっとしますが、地道にゆっくりとやってくしかない。それも教科書に書いてたっけ。
というわけで、社交不安障害の悪循環の渦に引っ張り込まれそうになったらすぐに教科書を開くことにしよう。
もちろん教科書はこれ
なんか、私が思っているよりも、けっこう私の歪みって強そうだな。私の社交不安障害、手強いな。
手に負えな・・・いやいや。これからも、ここで思ったことや考えたことを書いて、心を日光消毒していこう。
まだまだ考察は続く。